あなたは、何かで失敗した時
どう反応しますか?
とんでもない事になっちゃった~。
本当に困った。
どうしよう。
と落ち込みますか?
すご~く悲しい事があったらどうでしょう?
泣き明かします?
起こってしまった事に、反応してばかりだと
自分がいろんな状況に左右されてとても辛い状況に陥りますよね。
でも、どんな事が起こっても
自分の脳の構造を書き換えた人は、感情をコントロールすることが
「ちょうどよかった!これをきっかけに~しよう」
とか
「この先のもっと大変な状況の時じゃなく
あ~今起こってくれてよかった」
と考えるそうです。
なんて、お気楽!
と思いましたか?
でもこれ、自分が楽に生きるには
とても有効な方法らしいです。
どんな状況になっても、思考の構造を変えるんです。
たとえば、ミスやトラブルが起こった時に、
「ちょうどよかった」と考えて
もっと会社が大きくなった時に、こんな事が起きたら大変だったわ
今でちょうどよかった。
この件をきっかけにして、同じミスやトラブルが起こらないように
業務のプロセスを見直そう。
という具合に。
ここで質問です。
私達が日頃失敗した時などに感じる挫折感などの負の感情も
本当にそう思うのが正しいのでしょうか?
もしかして皆がそうだから、自分もそう感じているとかいう
事はないですか?
人は生まれ育った環境で見聞きしたものが
判断の基準になっていることが多いとか。
特に一番影響しているのが親の思考や判断基準とか。
そうするともしかして、
失敗したら、落ち込まなきゃいけないとか
昔見たテレビドラマで、こうだったから
普通自分もこういうふうに反応すると
刷り込まれているとか?
そんな風に色々疑ってみませんか?
これから起きる事象を自分がどうとらえるかは、
すべて自分で判断し、自分の脳を書き直すことが必要なのかもしれ
この話を聞いて思ったのが
時々、すご~く落ち込んだ時、
何で私はこの事でこんなに落ち込まなきゃいけないんだろう?
と考える事があります。
特によ~く考えると、別にそんなに大した事ないじゃん。
なんで??
そう思い、やっと立ち直るのですが・・・笑
これがもっと、瞬間的にできたら
自分が楽ですよね。
こうやって考えると
つい、出来事に自動的に反応するように刷り込まれている
ようにも思えてきます。
もしこれが、どんな失敗がおきても楽しむ事ができたら
すご~く楽ですよね。
物事をどんな風に捉えるのかは、本来自分で決めるべきです。
皆が同じじゃないですから。
これこそ、「主体的に生きる!」の実践です。
思考の構造は自分で意識的に変えてみませんか?
なぜなら、それは変えた方が自分が楽だから。
何か悪い事が起きたら
とりあえず呟いてみて下さい。
「あ~よかった、助かった
ここで起きてくれて」
と、まずは言葉に出すと
思考も変えやすいし
行動も変えやすいらしいです。
こんな事が起きたら、こういう風に考えようと
前もって決めておけば
イザという時、自分に語りかけれます。
「おっと、いけない、私はこう思うように決めたんだった」
と。